アメリカ、アリゾナ州の州都フェニックスの北110kmの原野にアーコサンティは忽然と現れる。

アーコサンティー2


 アーコサンティー

イタリア生まれの建築家パオロ・ソレリ氏が建築と自然生態学の共生の哲学を基に建設を開始した実験都市。


1970年にプロジェクトに着手し半世紀が経った今、出来上がっているのは計画の数パーセントに過ぎないという。


1970年と言えばアメリカではヒッピー全盛期。ベトナム戦争突入。そんな激動期だからこそ、理想郷を夢みて人生をかけようと考えたのですね。

 

計画して、なかなか完成しないと言えばガウディが引き継いだサグラダ・ファミリアの経緯に似てます。

 

サグラダファミリア

パオロ・ソレリ氏亡き後も作業は続いているのです。


生前パオロ・ソレリ氏は言っていたそうです。
『一生かけて、何をやっているのか?と言う人は、大切なことが分かっていない。何が出来たか、どこに着いたかではなく、どこに向かって歩いているかが大切なんだってことがね。』


よく聞く話で、帆を張らない船はどこに着くかは風任せと同じですね。


結果、失敗することはいくらでもある。結果が出るまでには人生が終わることだって珍しくない。


ソレリ氏自身も90歳過ぎるまで精力的に活動し、アーコサンティの完成は見ていないで亡くなっています。


かの天才画家、葛飾北斎の名作の殆どは70歳を過ぎてからのもので、90歳で亡くなるまで生涯現役だったそうです。
 

いつから夢や理想に向かおうとする人を非現実的だと言って応援しなくなってしまったのだろう。


そして、いつからか徒労に終わるかも知れない人生を人は笑うようになってしまったように思います。


いつから人生を勝ち負けという、下品な価値基準に翻弄されてしまったのでしょうか。


本当は過程こそ人が学び成長する大切な時間なのに。


私が義務教育を受けていた時代には、結果よりもどれだけ努力したかが評価された記憶があります。そんな私の努力を見て褒めてくれた教師にとても感謝していました。


 

あなたの人生の目標は?と聞かれて明確に答えることのできる人は一握りいるかも知れない。


でも多くの人は、「そんなものはないし、得意な分野だってない」と言うのではないだろうか。

大多数の人々は、目の前に突き付けられた二者択一を仕方なく選択し、その選択を繰り返していても、いつの間にか道は開けていることに気づくのか、気がつかないかどちらかでしょうね。


それがたとえ本意ではなくとも、選択の積み重ねがどれほど予想外の方向に行ったとしても、それは自分が選んだ道なのです。


スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが対談番組で仰っていたことを思い出しました。

スタジオジブリ設立時には売り上げ目標もなければ、会社運営するための事業プランもなかったそうです。


そんな会社設立を認めた徳間康快は何を考えていたのか?考えていなかったのかも知れませんね。


結果としてヒット作品に恵まれたお蔭で会社運営や人の採用方法を考えるようになったそうです。

宮崎駿氏や先日お亡くなりになった高畑勲氏は売上だとか制作スケジュールには興味を持たない天才だったので、いつの間にか仕方なく鈴木敏夫氏の役割が今日の様な役回りに決まっていったようです。


私も昔から具体的な将来の目標は無く、何となく興味のあるものに対して、目の前に与えられたことを楽しんで、誠意を尽くして、時には怠けても自分で選択してきた人間です。

だからシステム手帳に事細かにスケジュールを書いている人を見ると羨ましく思っていました。


一か月先のスケジュールを決めて実行に移すことにプレッシャーはないのかなあ?なんてことを思ったりしていましたが出来ない人間の妬みかな?


自分が決めて、やっていることに責任を感じながら実行していけば、そんなに間違った人生にはならないと思いますが皆さんは?